イントロダクション

中国人青年が出会った日本、それはひとりの老婦人だった

中国から東京に来たばかりの青年は、ある日、ひとりの老婦人に出会う。ちょっとしたはずみで持っていた碁石を道に落としてしまったとき、一緒に拾い上げてくれたおばあさん。それが、吉流(よしりゅう)と五十嵐君江との出会いだった。故郷では天才棋士と言われた吉流だが、東京に来ても囲碁を打つ機会のないまま日々を過ごしていた。野菜の行商をしている君江は、「ずいぶん年季のはいった雲石だね。中国の碁石でしょう」と、すぐさま言い当てる。実は彼女が高名な女流棋士であることを吉流が知るのは、ずっとのちのこと。吉流は、君江とその孫の翔一と家族のような関係を築いていき、孤独で不安に満ちた「東京に来たばかり」の日々から、少しずつ日本人や日本社会に馴染んでいく。誰の助けも借りずに質素に生きる君江は、孫の翔一にも厳しい態度で接する。だが実は深い思いやりに満ちていることを、吉流は少しずつ知るようになる。君江のなかの厳しさと優しさ、温かさこそ、吉流が出会った日本にほかならないのだ。

日本の伝統美を伝える君江の生き方

人々がせわしなく歩く東京の雑踏から一転、君江がひとりで暮らす千葉の農家には、日本の伝統美が随所に見られる。里山と田んぼに囲まれた村の瓦屋根の木戸門をくぐると、広い敷地に茅葺屋根の大きな屋敷が建っている。かまど、囲炉裏、板敷きの間と畳敷きの部屋。襖はいつも開けてあり、広々とした空間がすがすがしい。吉流が働く東京のカプセルホテルや狭いアパートとは異次元の、昔ながらの農家の暮らしがここにある。普段は手ぬぐいを姉さんかぶりして農婦然とした地味な装いの君江が、和服を身につけるや毅然とした老婦人になる変化も印象深い。夜祭りの浴衣。長野に帰る前に村人たちの前で吉流と一局打つときの淡い灰色の絽の着物。吉流と囲碁殿堂資料館で再会するときの少し濃い目の灰色の着物。どれも銀髪の美しさを際立たせ、和服の優美さと威厳とを十全に表現している。

倍賞千恵子と日中の若手俳優の、みごとな呼吸

かつて日本で8年間の留学生活を送ったジャン・チンミン監督は、自らの体験をもとに本作を作り上げた。「頑強な農婦と高名な棋士の両面をあわせ持つ女性を演じられるのは倍賞千恵子さんしかいない」かねてから倍賞千恵子のファンだったジャン監督は、20年近く前にシナリオ第一稿を書き上げた時からそう確信していたという。監督の確信通り、倍賞千恵子が演じる五十嵐君江は、凛としてたおやかな日本女性の理想像をみごとに具現する。彼女に魅了され、日本での居場所を見つける主人公・吉流を演じるのは、ロウ・イエ監督の『スプリング・フィーバー』(09年)で注目された中国男優の旗手チン・ハオ。祖母の君江と囲碁をめぐって気持ちがすれ違う青年・翔一を演じるのは、園子温監督作品や中国で撮影された『南京!南京!』(ルー・チュアン監督)と『黒い四角』(奥原浩志監督)に連続出演するなど、幅広く活躍する中泉英雄。そして翔一の恋人・奈菜子役に台湾の人気女優チャン・チュンニン、吉流が恋心を抱く女性役にミュージシャン、小説家、女優などマルチに活躍するティエン・ユエンが扮して、この日中合作映画を多面的に彩る。

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